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- 2025/04/25(金) 09:16:20|
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つまり、彼のモノクロ作品をたいして見ずに、評価を下している世代がいる。これは、明らかに長期にわたった彼の監督活動からきている。つまり彼の長寿により、他の名監督と比べて、その評価軸が恐ろしくブレてしまった結果、二極化が生まれたということを、小林氏はその文章の中で明言はしていなかったが、ほのめかしていたのだ。
市川監督は、92歳で人生をまっとうした。88歳で亡くなった黒澤監督以上の長寿であり、小林氏風に言えば、現役での長寿だったから、今回もまた、その長期にわたった活動から、各世代による評価軸のブレを予測しなければならない。だが、市川監督に関しては、黒澤監督のような二極化的な報道は、大方出てこないだろうと推測される。
それは、黒澤監督と市川監督との作風や作品の浸透の違いが大きいと思う。市川監督の作品は、黒澤監督にできたようなアクション(時代劇)、あるいは人間ドラマといった明確な区分けはできない。彼の活躍が目立った50年代、60年代の作品は、実に多岐にわたるジャンルのオンパレードで、一つの枠に括ることなど、全くできないからだ。
またその時代の作品自体が、黒澤監督のように幅広く見られていることがないし、そもそも40数本(50~60年代)という作品数が評価を曖昧にさせる。つまり、その時代の作品に関し、一部の貴重な専門家の仕事を除いて、いまだきちんとした評価がされていないのが実情なのだと言っていい。たから今回、表面的な礼賛はあるだろうが、それは作品に即した具体的なものではなく、かなり抽象的なものに終始するに違いない。
各報道で、彼の代表作として挙がっていたのが、『ビルマの竪琴』(56年版)、『東京オリンピック』(65年)、『犬神家の一族』(76年版)、『細雪』(83年)、そしてテレビ「木枯し紋次郎」といったあたり。これを見ても、市川監督の部分的な作品系列でしかないのがわかる。真の代表作ではないのだ。『七人の侍』『生きる』『赤ひげ』『用心棒』などが代表作として挙がり、まさにそのとおりである黒澤監督の場合とはかなり違う。
市川監督の作品は、角川映画第1弾の『犬神家の一族』(76年)以前と以後、また夫人であり、名コンビを組んでいた脚本家の和田夏十氏が亡くなった83年以前と以後、という括りができると思う。前者が興行面、後者が創作面の分岐点になるのだが、それはどちらから見ても、興味深い区分けとなる。
しかし、そうした区分けを取っ払ってみても、全体の作品系列は、見事に娯楽作品で首尾一貫しているのに驚かされる。芸術的な色気は、文芸作品などに感じられないこともないが、よく指摘される彼独特の都会的で、軽妙洒脱な映像感覚は、娯楽的な要素を一層強固にすることから要請されていると見るべきだろう。芸術より、娯楽なのだ。
映画監督や作家が現役で長寿というのは、先の小林氏によれば奇跡だそうだ。市川監督は、明らかにその奇跡の人であった。ただ、作品の全体像は、まだ明確な像をもっていないようにみえる。
作品歴の華々しさから、毀誉褒貶に絶えずさらされた黒澤監督とは、現役で長寿とはいえ、全く違った評価、受け取られ方をされてきた市川監督。今後、多方面から様々な作品分析の取り組みが行われていくのが望ましい。いたずらに巨匠と言われながら、その実体がよくわからないのでは、情けない。市川監督は、大きな宿題を残してくれたと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080215-00000001-vari-ent
(ヤフートピックス引用)
★市川 崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - 2008年2月13日)は日本の映画監督。
1915年、三重県宇治山田市(現・伊勢市)に生まれる。幼少時は市川儀一という名前であり、成人してから市川崑に改名している。
少年時代に見たアメリカ製のアニメ映画にあこがれ、親戚の伝手で京都のJ.Oスタヂオの動画部門に入り、アニメーターをつとめる。1936年には脚本・作画・撮影・編集をすべて一人でおこなった6分の短編アニメ映画『新説カチカチ山』を発表している。1945年には人形劇アニメの『娘道成寺』を制作した。その後市川は実写映画に活動の場を移した。市川はアニメーションから実写映画に転身して成功を収めた数少ない映画人である。
妻は脚本家の和田夏十。東宝撮影所で知り合い、1948年に結婚した。和田は40年近くにわたって崑の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における崑のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと)という名は東宝撮影所時代に2人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と崑がこれを妻に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。
大変なヘビースモーカーとして有名。一日にチェリーを100本は欠かさずに吸っており、手を使わずに喫煙できるように、抜歯した歯の隙間に挟んで喫煙していた事でも知られる。文化功労者に選出された1994年には『紅白歌合戦』に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。
しかし晩年には、健康に気を使うようになり始めたことに加え吉永小百合のアドバイスもあり、亡くなる5~6年前からは禁煙していたという。
(Wikipedia参照)
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